実家を離れて暮らしている私は、出産のとき里帰りをしました。安心できる実家で産前、産後を穏やかに過ごすつもりだったのですが、さまざまな祖父の言動に悲しい思いや悔しい思いをして傷心。苦い思い出が残る里帰りでした。長い里帰り、祖父への不満続出切迫早産の兆候があったので、里帰り出産を予定していた私は、大事をとって妊娠7カ月のときに早めの帰省をしました。平日の日中、父と母は仕事に出ており、在宅している祖父母と過ごす時間が長くなったのです。 祖父は亭主関白な性格で、自分の身の回りのことはほとんど祖母に整えてもらっていたり、上からものを言うことも多かったりして、長い里帰りの期間で祖父への抵抗や苛立ちが私のなかで出てくることが多々ありました。 私は炊事係!?実家とは言え、家事などは進んでする気持ちでいた私は、家の農業の手伝いや食事作りをできる範囲でおこなっていました。しかし、妊娠初期から眠気が強く出ていて睡魔が襲ってくることが多く、家事ができないことがたびたびあったのです。 ある日、お昼になってテレビを観ていた祖父が「まだごはんの用意ができないのか」と怒ってきました。当時、祖母は昼過ぎまで農業に出ていたため、私が昼食を作ることが多くなっていたのです。 食事の時間はわかっていたけれども眠気とだるさで動く気がしなかった私は、祖父の言葉にため息。しかも祖父はただテレビを観ていただけ! 自分本位な言葉に「私はあなたの炊事係なの!?」と悲しい気持ちになりました。 母を悪く言わないで!祖父は嫁である私の母に、厳しいところが昔からありました。里帰り中もたびたび喧嘩をして、母がグチをこぼしていました。普段はあまり深入りしない私ですが、1度だけ祖父の言動にひどく気持ちを揺さぶられて、「お母さんは悪くない!」と抵抗し、祖父と大喧嘩したことがありました。 そのときは、母が祖父のことを思って忠告した言葉に祖父が怒って暴言を吐いたので、私は許せなかったのです。今思うと、産後1カ月経たないころで気持ちが不安定になっていたのかもしれませんが、祖父と喧嘩をしたことが里帰り中何よりつらい体験でした。 祖父にこんな感情持ちたくない!祖父に不快な感情を持つということ自体、娘を産んだばかりの私にとっては悲しいことでした。というのも、娘の祖父となった私の父が、娘をとてもかわいがってくれている姿を目の前にして、将来娘も私と同じように「じいちゃんが憎たらしい」という感情を持つことがあるのかもしれないと考えると複雑な気持ちだったのです。 しばらくして冷静になった私は、否定的な感情に折り合いをつけて、なんとか祖父と和解しました。 7年経った今となっては、久しぶりの長い実家生活で、家族の嫌な部分が見えてきてしまったのかなと思います。祖父に苛立ち立っていたのは少し感情的になっていたのかもしれません。悲しかったり悔しかったりして苦い思い出が残る里帰りでしたが、実家で家族とゆっくり過ごせた貴重な時間でした。 著者:田島さき自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2024年06月02日出産する前、風邪などで寝込んだりすることは年に1回あるかないかだった私。ところが1人目出産後の1年半は、体調不良で寝込むことが多くなってしまいました。子どものお世話があるのに何度も何度も寝込んでしまう日々を経験し、私なりに学んだことをご紹介します。 体質の変化!? 2カ月に1回寝込む日々私は産後に、あるときは胃腸炎、あるときはインフルエンザ、またあるときは風邪で発熱という具合に、ちょこちょこと単発の病気にかかる頻度が増え、産後の1年半は2カ月に1回は寝込んでいました。どれも数日寝ていれば良くなる症状なのですが、365日休みなしの子育て中に度々自分が体調不良になるというのは家族にとっても結構なダメージがあります。 実家が近くはないため、夫が仕事を休めるときには家事・育児を代わってもらっていましたが、夫の仕事の都合がつかないときには、もうろうとしながら子どものお世話をして1日過ごしたことが何度となくありました。 一番つらかった冬の胃腸炎中でもつらかったのが、冬場に胃腸炎にかかったときのことです。その日は嘔吐と下痢の症状がひどく、真冬で寒いので外に出るのもしんどい状態でした。しかし、家の中の閉塞的な空間でイヤイヤ期に入り始めた1歳半の娘の相手をしているのもしんどく、なんとか薬をもらおうと自宅から歩いて5分ほどの場所にある内科を受診したのです。冬場のクリニックは混み合っていて、座る場所もない状態でした。娘はちょうどお昼寝の時間で眠っていたのでしばらくは静かに待つことができましたが、1時間待っても診察の順番がまわってきませんでした。 受診できず泣きながら帰宅吐くほどではありませんでしたが気持ちが悪く、体調不良の中待つことに限界を感じ始めたころ、娘が眠りから覚め不機嫌に泣き始めました。すると急にどっと疲れてしまい、受診せずに病院をあとにしました。不調の体で娘をあやしながらもうしばらく順番を待ち、受診することにハードルの高さを感じたのです。帰り道、体調不良のつらさと受診できなかったつらさ、いろいろなつらさを感じ、さらに激しく泣く娘と一緒に、大人げなくボロボロ泣きながら帰ってきたのを覚えています。 母の健康は家族にとっても大切1人目出産後は体調が不安定になりやすかったことに加え、初めての子育てに全力投球し過ぎて、心身共に無理をしている部分があったと思います。自分のことはいつも後回しにしていましたが、何度も体調不良に見舞われる中で、母である私が健康を損なうことが、自分にとっても家族にとっても一番大変だと感じるようになりました。 自分が元気でなければ子どものお世話もできません。それから「自分のこともきちんと考え、自分にも休養を与え、きちんと体調管理すること」の大切さを意識するようになりました。 その後、おろそかにしがちだった自分の睡眠、食事をきちんととり、月に1度は整体に行って体をメンテナンスするようにしました。そのおかげか、2人目出産後は以前のように寝込むことはほぼなくなりました。時間的金銭的に厳しいと感じるときもありますが、自分の健康を維持し家庭をスムーズにまわしていくために必要なことだと割り切っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/キヨ 著者:澤崎 凪1男1女の母。パーソナルカラーコーディネーターの資格を持ち、色彩関係、ファッション関係のほか、自身の体験をもとにした子育て関係のジャンルを中心にライターとして活動中。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月01日障害者等級1級の難病を持つ妻。私は夫として妻を支え、私も妻に支えられ共に過ごしてきました。妻は出生時、腸に悪性の腫瘍が見つかり、手術で除去。以来、(同じ症状の前例がない)難病指定され、毎日の検査や点滴、数十回の手術をしながら今に至ります。妻を育てた義母は、病気だからと言って甘やかすことなく厳しく厳しく妻を育てたそうです。そんな義母と戦うことになるとは思ってもいませんでした。長男を無事に出産妊娠時、世界的に見ても過去に同じような病気の人で出産したという前例がなかったため、どうなるかわからない状況でしたが、妻の強い意志で出産を決意。無事、男の子が生まれてきてくれました。 しかし、ここで妻が持病の不調も相まって産後うつになってしまいました。私は会社をしばらく休ませてもらい、できる限り子どもと妻のお世話をして過ごしましたが、妻のうつは悪化し、主治医から1~2カ月入院するように言われました。 義母からの言葉私は妻に安心して入院してもらうためお互いの両親に事情を話し、子育ての手伝いを頼みました。私の母は快く引き受けてくれました。しかし義母は、「自分の子は自分たちで育てなさい。できないなら里親の元に出せ」と。 続けて「娘も、あんたひとりで子どもを育てるより里親の元に出したほうが安心する」とも言われました。「この人は何を言っているんだ?」、「少しぐらい手伝って」と義母に対して私は思ってしまいました。 義母との戦いここまで義母に言われて腹が立ちましたが、妻の顔もあるので「もういいです」と帰ろうとすると、さらに「あなたのエゴでその子に苦労をかけるな」というようなことを言ってきたのです。 さすがに私もプチンッときたので「絶対にこの子も妻も自分が幸せにするから黙っててください」と言って帰りました。結局、妻の入院中も義母には絶対に頼らず乗り切ることに。正直すごくしんどいと思ったこともありましたが、義母との件もあり奮起しました。 義母の想い2カ月後、妻も無事退院。妻には入院中、一連の内容を話さずにいましたが、退院後にこんなことがあったと告白しました。すぐに妻は事実確認をすると義母に連絡。すると義母から思いもよらぬ返答がありました。 私がちゃんと妻の退院までひとりでしっかり子育てをするように、あえてそう言って試したとのこと。正直今でも腑に落ちずにいますが、義母への怒りのような感情をエネルギーに変えて、この期間子育てを頑張れたというのも事実でした。 子育てにはいろいろな考え方があり、正解はありません。自分の価値観だけでなく、視野を広げて「子育て」に向き合うことが大切なのかなと思います。実際あのときの経験があって、多少のことではへこたれないようになりました。もちろん「しんどい思いをする」ことが正解とも思っていませんが、間違ってもいないとも思います。そういう意味では勉強になりました。著者:八杉竜平3歳男児の父。運送業を退職しWeb業界へ。障害者等級1級の難病を持ち、産後うつを経験した妻との子育てについて執筆中。
2024年06月01日第一子を妊娠してすぐ、夫と一緒にわが子の名前を考え始めました。一生懸命考えたわが子の名前。無事に出産した報告を含め、生まれてきたわが子の名前をLINEで初めて義母に伝えたところ……!? 初めての出産報告がとても悲しい思い出になってしまったエピソードを紹介します。 夫婦で一生懸命考えたわが子の名前待望の第一子妊娠! 夫の苗字がごく一般的なものなので、わが子は下の名前で覚えてもらえるような、特徴のある名前を付けてあげたいと思っていました。夫と2人で、姓名判断などを考慮しながら検討。臨月に入ったころ、やっと2人の思いが詰まった名前が決まりました。 私の実家には事前に名前を報告し、家族から賛成してもらいました。義理の実家からは、「夫婦で決めた名前だからどんな名前でも賛成だよ!」と言われていたため、実際の名前は伝えず、生まれてからのお楽しみにしました。 無事出産! その直後、悲しみのどん底に長い陣痛の末、やっとの思いでわが子を出産。出産に立ち会った夫も、初めてわが子を抱いて大興奮、大感激でした。わが子を抱いた写真とともに、初めてわが子の名前を夫が義母にLINEで伝えました。 その後、夫や私の両親は喜び勇んで朝食を食べに行き、私は産後の安静のため、分娩台でひとり待っていました。すると、私と夫と義母のグループLINEに、義母から「がっかりしました。名前は反対です」とメッセージが……。産後、初めてかけられたのがこんなに悲しい言葉だなんて……。 双方の歩み寄りが足りなかった義母も私たちに名づけを任せる気持ちに嘘はなく、私たちも自分たちで考えた名前なら絶対喜んでくれると思い込んでしまっていたことが、最大の失敗要因でした。義母は、想定外の名前にびっくりしてしまったのだと思います。 結局、長男の名前は生まれてから考えた新しい名前に落ち着きました。めでたい事柄だからこそ事前にしっかり相談し、報告しておけば、初めての出産報告がこんなに苦い思い出にならなくて済んだのに……と反省するばかりです。 わが子は両親にとっても大切な孫であるということをもっと認識しなければなりませんでした。名づけだけでなく、そのほかの帰省スケジュールや初節句についてなど、両親としっかり連携できるように努めることが大切だと思いました。 イラストレーター/星田つまみ著者:鍜治すみの生後6カ月と2歳、2男の母。長男妊娠時の切迫早産により、9年続けた製薬会社のMR職を退職。前職では主に産婦人科領域製剤を担当。培った知識をフルに活かし執筆活動や育児に奮闘中。
2024年06月01日産後間もなく初めての育児が始まり、睡眠時間も自分の時間もとれずに身も心もボロボロな毎日を送っていた私。そんなときに、近所に住む女性からの何気ない言動を重く受け止めてしまい、ナーバスになっていたころのエピソードをお話しします。 ボロボロな私に対して初めての出産を経て、ほぼワンオペでの育児が始まりました。しかし育児ストレスからか食欲もあまりわかず、息子が生後3カ月のころには私の体重は産前に比べ5キロ以上減少。さらに息子は夜泣きがひどく、夜中何度も起きていたため、そのころの私は常に寝不足でボロボロな状態。 そんなある日、息子を連れて近所を散歩していると近所に住む高齢女性に会いました。私があいさつすると、ギョッとして「えっ? 〇〇(私)さんなの!? 何でそんなにやつれてるの?? やだ〜、母乳あげすぎなんじゃない!?」と言われたのです。 できればあまり会いたくない……その場ではアハハと受け流したのですが、家に帰ってから「子どものために頑張っているのに、私だって好きでこんなにやつれているんじゃないのに……」と、ひとりで泣きながら悔しい思いをしたことをよく覚えています。 その後も、その女性と近所で会うたびに、私の姿を上から下まで見ては「うわぁ〜、また痩せたんじゃない?」と引き気味に言われました。正直あまり会いたくなかったのですが、ご近所さんなのでなかなかそうもいかず、バッタリ会ってしまった際には、あまり会話をしないようにやり過ごしていました。 息子の成長とともに変化がやがて息子が1歳半になり、断乳を開始すると夜中起きることも減ってきて、睡眠時間が確保できたことで私の体調もだんだん良くなっていきました。ある日、いつものように息子と近所を散歩していると、例の女性と遭遇。 また何か言われるかなと少し身構えていましたが、「あら〜! 〇〇(息子)くん、あんよがじょうずになったわねぇ〜! ママも元気そうでよかったわ!」と明るく言われ、私は体調が安定してきたこともあり、素直に「ありがとうございます」と言えるようになっていました。 息子が5歳になった今では、あのご近所の方は悪意があって言っていたのではなく、ただ心配して、親切心から言ってくれたのかな? と思えるようになりました。ですがもし今後、私が逆の立場になったら、産後間もない女性に対しては、もっと気持ちに寄り添って接したいな……と思います。 作画/キヨ著者:小野 美穂6歳の幼稚園男児のママ。乳児期に産後うつになり、治療をおこなう。現在は趣味のイラストを活かした仕事をしている。
2024年05月31日子どもが産まれてすぐのこと。夫の地元の友だちが数人でお祝いに来てくれました。私もうれしかったのですが、出産祝いを見てびっくり。思わず涙が出てしまいました。 プレゼントを開けてみたら…子どもが産まれてすぐのこと。夫の地元の友だちが数人でお祝いに来てくれました。出産祝いにと全員から洋服のプレゼントを頂きました。 「面白い洋服を見つけたから買ってきたよ」と渡してくれたのは、とあるマンガのヒーローの衣装。うちの子は女の子だけど……と思いましたが、とりあえず着せてみてと言われ、着せることに。 洋服を着た娘の姿を見て、私は思わず悲しくなり涙が出てしまいました。今ならこんな感情にはならず、かわいい!と思えるので、産後でホルモンバランスが崩れていたことが大きかったと感じています。産後こんなに感情が変化すると思っておらず、自分でも驚きました。夫に相談し、今後は嫌なことは無理せず伝えるなど、対応を考えていこうとなりました。 ◇ ◇ ◇ 産後はホルモンバランスが急激に変わるため、これまでは何ともなかったことに対しても不安になったり、悲しくなったり、イライラしたりすることがあります。多くの場合は自然に治りますが、気になる際は産婦人科などで相談しましょう。 イラスト/シュー子著者:ぽんこ
2024年05月30日産後の女性が夫にイライラを感じるという話はよく耳にします。産後の私も例外ではなく、夫が家事や育児をすればするほどイライラが募っていきました。今回は、私の産後の様子と夫へのイライラが落ち着いていった過程についてお話しします。 どうしてイライラするの? 心と体に異変産後、家のことに不慣れとはいえ、夫の一挙手一投足に怒り、夜の夫婦生活なんて考えただけで夫を突き飛ばしたくなる有様だった私。「私はこんなに心が狭かったの? ちょっとイライラしすぎじゃないだろうか?」と、私は自分の感情に悩み、違和感を覚えていました。 そんなとき、自分の体にも異変が起きました。毎晩息苦しくて何度も目が覚めて眠れず、日中には気絶するように突然寝てしまうようになったのです。診察を受けると、なんと鼻にできたポリープが鼻腔を塞いでいたことが判明しました。 病気が判明、ずっと睡眠不足だった!?耳鼻科医によると、ポリープはかなり前からあり、産後の私は過度な睡眠不足になっていたようでした。ポリープ除去には1週間の入院と手術が必要とのこと。 ただ、入院している間、仕事のある夫は1歳3カ月の子どもの面倒を見ることができません。そこで何軒も病院をまわった末に、なんとか日帰り手術をしてくれる病院を見つけ、異変から5カ月後にやっと手術が決まりました。服薬のために断乳し、手術後、私の体調は劇的に回復し始めました。 熟睡と月経の再開で落ち着いた心と体手術のおかけで、睡眠中もきちんと呼吸ができるようになったことに加え、断乳したことで子どもの夜泣きがなくなり、ようやく私は熟睡できるようになりました。さらに産後1年8カ月ぶりに月経が再開。 こうして順調に体調が整っていったある日、ふと気付きました。「最近、夫に全然イライラしない……!」。自分でもコントロールできない夫へのイライラは、自分の本意ではなかったとはっきりと感じました。その後、夫婦仲は自然と改善していったのでした。 今振り返ってみると、夫へのイライラは、ポリープの影響による睡眠不足に加えて、産後特有のホルモンバランスの乱れによるものだったのではないかと感じています。 イラストレーター/大福 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:唐木田幸一児(男の子)の母。出産を機に報道関係の仕事を退職し、現在は専業主婦。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味はブルーレイ収集と寺巡り。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月30日かおりさんが娘・こはるを出産後、夫・いちろうはすぐに育休に入る予定でした。しかし、いちろうのミスで先延ばしに。突然ワンオペ育児を任され、自分の体に限界を感じていたかおりさんは、育休に入ったいちろうにスパルタ指導を開始しました。いちろうは育児をなめていたことを反省し、かおりさんもいちろうを許したのですが……。いちろうは育休中にも関わらず、会社の後輩・みほの口車に乗せられてかおりさんに内緒で面倒な仕事を引き受けました。さらに育休前の1カ月間、引継ぎが忙しいという理由で会社に寝泊まりしていたときも、実はみほの仕事を肩代わりしていたことが判明。かおりさんは産後の妻子よりみほを優先したいちろうに激怒しますが、直後に体に痛みが走り、救急搬送されることになりました。 娘のことお願いね…!私は病院に運ばれながら、自分のことよりも家に残される娘のことが心配でたまりませんでした……。 いちろうはかおりさんの実家の食堂に連絡し、かおりさんが倒れたことを報告します。 両親が病院に駆けつけると、かおりさんの痛みは治まっていました。医師によると、倒れた原因はストレスによるものだったようです。 かおりさんは両親に事情を伝え、現在はいちろうがワンオペでこはるを見ていると心配そうに話しました。 「じゃあ私は店に戻る」 するとかおりさんのお父さんは、店があるからと帰宅。 ちょっと冷たいと感じるかおりさんでしたが、かおりさんのお母さんは「お父さんが向かったのはきっとお店じゃないわよ」とつぶやきます。続けて、自分たちにとってかおりさんは、いつまでも大切な娘だと伝えるのでした。 倒れたことをきっかけに、両親の愛情を再確認したかおりさん。子どもは何よりかけがえのない存在ですが、自分の両親にとってもそれは同じこと。 育児に奮闘するあまりつい自分のことは後まわしにしてしまいがちですが、両親を悲しませないためにもどこかに頼ったり、手を抜けるところは手を抜いたりと、自分のことを労わってあげられるといいですよね。 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター くまお
2024年05月29日少し恥ずかしいのですが、わが家の妊娠中の夫婦生活について、お伝えしたいと思います。1人目の妊娠時は、安定期に入ってから何度かしました。ただ妊娠7カ月ごろになると、体に負担を感じるようになったので、夫婦生活は一旦お休みすることに……。そして、2人目を妊娠中は性欲もわかず、上の子のお世話で疲れてレス状態になっていたのです。 1人目妊娠中、妊娠中期は性生活あり1人目の子どもを妊娠したときは、とにかく幸せでお互いに性行為をしたい気持ちはありましたが、安定期に入るまでは我慢しようと決めていました。 そして妊娠中期、つわりもおさまって体調がよくなってきたころに自然と性行為をするように。そのときに気を付けたのは、おなかに負担がかからないようにすること、おなかが張ってきたらすぐにやめるということ。無理のないように気を付けました。 だんだんと性行為が負担になる妊娠7カ月を過ぎておなかがだんだん大きくなってくると、赤ちゃんを守りたいという思いが強くなってきて、性欲もなくなり、性行為が負担になってきました。 そこで、夫から誘いがあっても「おなかも大きくなってきてつらいから、赤ちゃんのために一緒にくっついて寝るだけにしよう」と話をして理解を得ていました。産後は産後で体調が悪かったので、しばらくは「体調が悪くてごめんね」と理由を伝えて断っていました。 2人目妊娠中は性行為なし産後、しばらくは性欲がわかず、赤ちゃんのお世話で精一杯だったのですが、産後1年半くらいしてからまた自然と性行為をするようになり、2人目を妊娠。ただ、今度は1人目のときと違い、上の子のお世話に追われ、疲れ果てて上の子とぐっすり寝てしまうことが多く、妊娠中は性行為一切なしで過ごしました。 時折、夫から誘いがあったのですが、正直に「疲れているし、性欲がわかなくてごめんね」と伝えると理解してくれました。 妊娠中は、ホルモンの関係で性欲がなくなる女性も多いのだそうです。赤ちゃん第一と考えて、夫にも理解してもらい、妊娠中は無理のない性生活を送れたらいいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/ムチコ 著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月29日かおりさんが娘・こはるを出産後、夫・いちろうはすぐに育休に入る予定でした。しかし、いちろうのミスで先延ばしに。突然ワンオペ育児を任され、自分の体に限界を感じていたかおりさんは、育休に入ったいちろうにスパルタ指導を開始しました。いちろうは育児をなめていたことを反省し、かおりさんもいちろうを許したのですが……。かおりさんと仲直りした矢先、いちろうは会社の後輩・みほの口車に乗せられてかおりさんに内緒で面倒な仕事を引き受けました。しかし、そのことがかおりさんにバレてしまい夫婦喧嘩に発展。いちろうは正直に謝ったものの、育休取得の1カ月前からいちろうが会社に寝泊まりしていた原因がみほの仕事を肩代わりしたためだったことが判明します。 あのときの苦労は何のため?夫は本当に反省したようで、泣きじゃくりながら土下座します。ですが私はそんな夫を冷ややかな目で見ることしかできず……。 かおりさんはいちろうが謝罪しても、女子社員をラクさせるために自分が苦しんでいたのかと納得できませんでした。いちろうが不在の間、倒れそうになりながらも必死に耐えてきたのはいちろうを信じていたからと話します。 「もう無理!」かおりさんがそう言い放ったとき、事態は急変。突然かおりさんの体に激痛が走り、その場に座り込んでしまいました。いちろうは救急車を呼ぶも、こはるが起きてしまいあたふた。 そんな中、自分の体よりも真っ先にこはるを心配するかおりさんに、いちろうは心を打たれるのでした。 限界がきていたかおりさんは、ついに救急搬送されることに。産後から休むことなく育児をおこなっていたため、自分が思っている以上に体に負担がかかっていたのでしょう。 それに加え、夫の裏切りが判明したとなれば大きなストレスを受けたはず。いちろうさんはようやく家族と向き合えるようになりましたが、今回のような事態が起こるもっと前に気づくべきではなかったでしょうか。いちろうさんにとって本当のワンオペ育児が始まります。かおりさんに「安心して任せられる」と思ってもらえるように頑張ってほしいですね。 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター くまお
2024年05月28日「里帰りするんでしょ」と、誰もがそう声をかけてきて……。母親のことが苦手な私は里帰り出産をしない少数派で、里帰りしないその選択は親不孝なのだろうか……。そう悩んでいました。実際に里帰りしないで2人の子どもを出産。デメリットばかりではない、夫婦で向き合った出産と育児の経験をお伝えします。 母親が苦手な私は「里帰りしない出産」へ私は遠方へ嫁いだため、母親と会うことも少なくなっていました。待望の妊娠が判明してすぐ私が考えていたのは、里帰り出産をしなくてもいい方法でした。母親のことが苦手な私。里帰り出産をして、母親と顔を合わせれば喧嘩してしまう……。 出産後、実家で子育てすることを想像しただけでストレスを感じました。周囲の反対を押し切り、夫を説得し、誰も頼ることのできない自宅アパートに残ることを私は決意しました。 出産! 産後1カ月を乗り切った方法出産当日。初めての陣痛も夫婦で乗り越え、無事に元気な男の子を出産しました。私の入院中、夫は自分のことだけでも大変だったのに、わが子を迎え入れるために部屋を掃除し、さらに退院の準備でバタバタしたようです。 退院後、必要な物はネットで購入。注文した翌日に商品は届きます。退院1週間後の健診は、タクシーを利用しました。産後1カ月の間、洗濯は後回し、掃除もしない……。食事は健康的なメニューの宅配弁当に頼り乗り切ったのです。 里帰りしない出産の最大の利点は?無理しないことを大前提に、私はファミリーサポートや産後ヘルパーなどさまざまなサービスを利用することに。おかげで産後3週間は、ほぼわが子のお世話だけをして体を休められました。何より私の心が穏やかでした。 ただただ眠るわが子を夫婦で愛おしく見つめ、困ったことは夫婦で試行錯誤する。産後1カ月間、わが子と私のために頑張ってくれた夫。いつもそばにいてくれた夫のことを本当に信頼し、良いパートナーだと実感できました。里帰りしない出産で私の心身は健康に、そして家族の絆は深くなったと感じています。 産後はささいなことで不安になったり、苛立ったりしていた私ですが、実家に帰れば余計なストレスを感じていたはずです。しかしアパートに残ったことで、夫や友人に相談しながら育児に奮闘できました。2人目も里帰りはしませんでしたが、さらに夫がたくましく思えました。もし3人目を妊娠しても、迷うことなく私は里帰りしない出産を選択します。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/ライコミ著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月27日出産直後、早くわが子に会いたいだろうと思い、県外にいる夫へ「週末会いに来る?」と連絡をしました。すると「サバゲーに行く予定だから無理」とまさかの返事が! 夫はさらに衝撃の発言をしてきて……!?赤ちゃんや私より、遊び優先!?待望の長男出産直後の話です。出産予定日を5日も超過し、結局緊急帝王切開での出産になりましたが、無事に生まれてホッとしました。私1人で実家へ里帰りしての出産だったので、県外にいる夫へ出産の報告と、産後14日以内の手続きもお願いしたく、何より早くわが子に会いたいだろうと思い、「週末会いに来る?」と連絡しました。すると「今週は無理だから、今度行く」とそっけない返事が返ってきたのです。む、無理とは……? 週末は仕事が休みのはずなのに……。わが子に早く会いたくないの……? と困惑し、「どうして無理なの?」と聞き返すと、なんと会社の人に誘われてサバゲーへ行ってくるというのです。しかも「先週だったら空けてたのに、予定日がズレたからさぁ……」と、予定日を超過したこちらが悪いかのような物言いでした。都合よく予定日ちょうどに生まれてくるわけないでしょ! 産後の私の体調をねぎらう素振りもなくて、怒りを通り越して呆れました。 結局、会いに来たのは翌週末で、たったの1日だけ。仕事の都合もあるだろうし、休みを取ってでも会いに来てとは言いませんが、産後の手続きもギリギリになってしまったし、もっとわが子との対面を喜んでくれると思っていたのに……。残念な思いをしました。 作画/赤身まぐろ著者:碓井 あかり
2024年05月26日2016年の春、出産予定日よりも10日早く長女を出産したぷにらーさん。念願の第1子が生まれて幸せいっぱいかと思いきや、出産後ある壁にぶつかってしまって……!? 出産後、つらい現実に直面。悪戦苦闘をするも… 出産後、自分が陥没乳頭であるということを知ったぷにらーさん。 「私の胸って変な形なんだ……。吸いにくくてごめんね」 赤ちゃんに謝りながらも直接授乳の練習をしたり、ニップルを使うなど、赤ちゃんが母乳を飲めるようになるか模索する日々を送っていました。 そんなある日、新生児後期健診で体重が増えていないことを指摘されてしまいます。 「母乳をあげたあとにミルクを追加して、3日後に病院などで体重を測ってこちらに連絡してください」 さっそくその日から、健診で言われた通りに授乳後は育児用ミルクをあげることに。 その3日後、ちょうど近所で赤ちゃんの測定・相談会があったため、そこで体重を測ってもらうことにしたのですが……。 「測定ですね」 「はい、あの……この子の体重が増え……てなくて……」 ぷにらーさんの目からは、涙がボロボロとこぼれてしまったのでした。 今まで必死に耐えていた感情が、ついに耐え切れなくなってしまったぷにらーさん。初めての育児でただでさえ不安なのに、今回のような状況になってしまったら、精神的につらくなってしまうのも無理はない気がしました。今回の健診では、測定のみにチェックを付けていましたが、一緒に育児の相談もしてもらったほうがいいかもしれません。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター ぷにらー2016年生まれの長女と2018年生まれの次女の姉妹を育児中。旦那の行動力に振り回されつつ、愉快な日常や体験談を描いていきます。
2024年05月25日出産前は「育児は2人で頑張ろう」と言ってくれていた夫。しかし、出産後に育児が始まると、無職で時間があるはずなのにワンオペを強要してきて……!?ワンオペを強要する夫出産を終え退院した直後、夫は転職の間に期間があり1カ月間無職でした。それなら育児を手伝ってもらえるとホッとしていましたが、来る日も来る日も夫は夜の早い時間に寝て昼過ぎに起き、また夜早くに寝てを繰り返す日々。夜泣きの対応なども一切してくれません。 昼はどこかに出かけていて、24時間ずっと私が子どもをみていました。あまりにも寝不足になり、少しでもいいから代わってほしいとお願いすると、なんと「僕がおらんでもいけるやろ」と言われました。どこにいけるんでしょうか。全然いけません。夢の国に行きたいのに……。出産前に「子どもの面倒は2人で見ようね」と言うと「親やねんから当たり前やろ」と答えてくれていて、そのとき感動しただけにショックが大きかったです。 「あなたがいないとだめなの」と、支えてもらいたい風のか弱い妻っぽい雰囲気を出しましたがやっぱり面倒を見てくれなかったので、保健師さんや助産師さんの訪問をお願いしてなんとか今まで育てています。助産師さんがいなければ夜泣きのひどい時期は乗り越えられませんでした。とても感謝しています。夫には育児への協力は期待せず、外で稼いできてもらおうと決めました。 作画/森田家著者:鶴多こまち
2024年05月25日出産後から1カ月健診まで家にひきこもりがちだった私は、外に出たくてストレスがたまっていました。産後の体では大した食事を作ることもできず、どうしても外食がしたかったのです。1カ月健診で無事にお医者さんから、少しであれば赤ちゃんを外に連れ出しても良いと許可をもらい、夫と赤ちゃんと初めての外食へ出かけたのですが……。 他人に迷惑をかけないように子どもが生後2カ月になったころ、私は夫に念願だった外食へ連れて行ってもらうことになりました。赤ちゃんと初めての外食なので、他人に迷惑をかけないようにネットでリサーチしてお店を選び、事前にお店へ電話をして赤ちゃん連れでも良いか尋ねました。 お店はベビーカーでの入店OKとのこと。そして当日、赤ちゃんが泣いてしまった場合の育児用ミルクなども準備をして、お店へと向かいました。 「赤ちゃんがかわいそう」と言われた私と夫が食事を楽しんでいる間、赤ちゃんは泣くこともなくすやすやと眠ってくれていたので安心しました。おかげでゆっくり食事を堪能。お店の店員さんにも「かわいいですね」、「いい子ですね」とあたたかい言葉をかけていただき、大満足で帰ろうとしたそのときでした。 他の席に30代くらいの男女のカップルが座っていたのですが、女性のほうが私たちを見て「あんな小さな子を連れて外食するなんて何を考えているの? 赤ちゃんがかわいそう」と言ったのです。妊娠中もなかなか外食ができず、久しぶりの外食だったのに、何でそんなこと言われないといけないの? と悲しい気持ちになりました。 赤ちゃん連れで外食はいけないこと?夫には「気にすることないよ」と言われましたが、見知らぬ人からの「赤ちゃんがかわいそう」という言葉を聞いて、なんだか私は悪いことをしている気持ちになりました。 確かに、赤ちゃんは外食を一緒に楽しめないので、親の都合で連れまわしていることは事実です。しかし、赤ちゃん連れで外食をしているだけで、どうしてかわいそうなどと言われないといけないの? とも思いました。さまざまな考えがあるので、そのお客さんも悪気があったわけではないかもしれませんが、わざわざ聞こえるような声で言わないでほしかったと思いました。 見知らぬ人の言葉に悲しい気持ちになってしまいましたが、赤ちゃんを連れて外食することについて、私は悪いことだとは思いません。なぜなら私自身、久しぶりに外食を楽しめたことでリフレッシュができて、家事や育児をより頑張ろう! と思えたからです。 作画/ぐら子著者:鮫島彩美0歳の男の子のママ。2年の不妊治療経験があり、念願の子育てを満喫中です。妊娠を機に仕事を退職したことでお金や保険に興味を持ち、現在はファイナンシャルプランナーの資格取得を目指しています。
2024年05月25日ゴルフ好きの夫が、娘が生まれるのを機に「しばらくゴルフに行くのは控える」と言ってくれました。しかし出産して2カ月がたったころから、自分の親とゴルフへ行くようになったのです。ほぼワンオペ育児をする私はモヤモヤした気分になってしまい……。 ゴルフに誘ったのはまさかの義両親娘は昼夜問わずによく泣く子だったため、私は心身ともに疲弊していました。そんな中、「親からゴルフに誘われた。場所が遠いし、前日から実家に泊まっていく」と私に言い放った夫。 私は週に1度の夫の休日を頼りにしていました。休日に家事・育児を手伝ってくれてとても助かっていたのです。赤ちゃんのお世話で大変な時期ということは義両親もわかっているはず。しかし、義両親から私に、夫をゴルフに連れて行くとの連絡はありません。 「なぜ断らないの?」と私が夫に聞くと、「会社のゴルフは全部断っているし、たまにはいいだろう」と機嫌が悪くなる夫。結局、夫は義両親とのゴルフに前日から出かけていきました。それから年に数回、同じように義実家に前泊してゴルフに出かける夫。確かに会社のゴルフはなくなったけど……とモヤモヤする私。 義両親と会っても「時々(夫を)ゴルフに連れ出して悪いわね」と軽く言われる程度です。それに対し、本当は困っていると伝えたかったのですが、遠慮して「大丈夫です」と答えていました。 2人目が生まれたら変わる…?2年後、2人目が生まれるタイミングで改めて、「ゴルフは控えてほしい」と夫に伝えました。変わってくれることを期待しましたが、2人目の産後も、夫は義両親とゴルフに出かけて行きました。 以前より頻度は減りましたが、夫がゴルフに行くことは変わらないとわかり、私は諦めも肝心だと思うように。平日の夫の帰宅時間は遅く、夫のいない休日もその延長だと割り切るようになったのです。 休日のワンオペ育児のときは、実家に帰ってゆっくりしたり、ママ友を自宅に呼んで子ども同士で遊ばせたり、楽しく過ごしています。 義両親とは、言いにくいことを伝えられるような関係ではない上に、ゴルフの話題になると機嫌を損ねる夫。正直、「結婚相手を間違えたか……」と思う瞬間も。しかし今では、夫がいない間は私自身もリフレッシュするようにして、ストレス発散になっているように思います。夫だけに依存することをやめたのは正解でした。 作画/ぐら子著者:下園ひかり
2024年05月24日長男を出産後、長らくセックスレスだった私たち夫婦。そのことに不満はなかったのですが、長男が3歳になるころに私は2人目が欲しくなりました。セックスレスなので、もちろん自然に子どもを授かることはできなません。意を決して夫に気持ちを伝えると、返ってきた返事は……。夫の返事とその理由は…夫の返事は、「長男の赤ちゃん時代の育児負担が多くて大変だった。同じような思いをしたくないから2人目は望んでいない」というものでした。 夫は仕事が好きなタイプでしたが、共働きだったため長男の病気で仕事を休んだり、私の休日出勤の日にワンオペ育児をしたりしてくれていました。 夜泣きの対応などもしてくれていましたが、夫には想像以上に負担だったようです。 諦められない私がとった行動どうしても諦めきれなかった私は、なんとか夫に納得してもらうため行動しました。 まず、数年前に仕事を辞めていた実家の母に相談し、2人目が生まれたら育児に協力してもらえることを確認。さらに自治体の産後ケアや一時保育、病児保育などの情報を集めました。 そして、産後1カ月は母に手伝いに来てもらう、子どもの病気のときも母に来てもらったり、病児保育を活用したりするなど、夫に極力負担のないようなプランを考え、夫にプレゼンしたのです。 夫を説得した結果!?プレゼン後、夫からは「しばらく考えたい」と言われましたが、数カ月後に「2人目を考えてみよう」との返事が! ちょうどそのころに夫が転職し、忙しさも和らいで気持ちに余裕ができたこともあったようです。 セックスレスが続いていて子作りは義務的なものではありましたが、妊活はスムーズに進み、数カ月後には無事に長女を授かり、出産することができました。 長年のセックスレスと夫の反対で一時は諦めそうになりましたが、具体的な解決策を示すことが夫には有効だったようです。生まれた娘のことを夫もとてもかわいがっていて、説得を諦めなくてよかったなと思っています。 イラスト/森田家著者:小坂なお
2024年05月19日息子が2歳半、娘が生まれたばかりのとき。2人目出産にあたり、里帰りはしないと決めていました。 夫は仕事が忙しく、娘が生まれてからほぼワンオペの生活。睡眠不足の日々が続いていました。 昼寝ができて喜んでいたら、夫が…日中は上の子の相手をし、夜は下の子のお世話をする日々。 産後のホルモンの乱れもあり、心身ともにすごく疲れていました。 毎日の睡眠は30分×3セットが通常モード。 細切れ睡眠をし、トータルで4時間ほど寝られた日は「よく寝れた!」と感じていました。 夫の仕事も忙しい時期で、夜のお世話を任せられず。休日は趣味の映画鑑賞で夜更かしをし、翌朝遅く起きてきても文句を言いませんでした。 ある休日のこと。きょうだいが同時に昼寝をしたタイミングで、夫に「私も少し寝ていい?」と聞いて横になることに。20分ほど寝られたので、起きたときに「よかった!少しは寝だめできた!」と言いました。 すると夫が「いいね。寝だめができて。俺は何時間寝てもずっと眠いよ。どんなに寝ても眠い方がよっぽど辛いよ」と言ってきました。 夫は悪気もなく話していましたが、私にはその言葉がすごく心に刺さりました。 産後のホルモンの乱れが落ち着き、2人育児にも慣れてきたころ。夫と「産後すぐは大変だったね」という話題になりました。 この出来事を話し、「あのときは何言ってんの?と思ったよ」と笑って話しました。 夫は何が悪いのかわかっていませんでしたが、「傷つけるつもりはなかったんだよ〜!ごめんごめん」と謝ってくれました。 当時は言い返さず我慢し、その後も笑い話にできましたが、あのときの言葉は一生忘れないと思います。 ◇ ◇ ◇ 出産後、ゆっくり眠れないのは本当に辛いですよね。夫の発言に悪気はなかったとしても、妻の状況を考えると少し軽率かなと思ったり……。発言ひとつで関係性がかわる場合もあるので気をつけたいですね。 イラスト/さくら著者:井上かなこ
2024年05月19日産後に体を壊してしまい、育児が困難になったママの体験談です。どのように体に不調が現れ、子どもを保育園に預けようと考えるに至ったか、病気を理由に保育園の申し込みをしたエピソードを紹介しています。 無事に出産を終えたことはゴールではなく、育児の始まり。私は産後に体を壊して育児が困難になってしまい、子どもを保育園に預ける決意をしました。今回は、私の病気のために保育園に申し込みをして無事合格した体験談と、入園後の生活や気持ちの変化についてお伝えします。 産後に起きた数々のトラブル私は妊娠初期からつわりがひどかったため、あまり動くことができず、妊娠後期には健診で子宮頸管長が基準より短くなっているということで、自宅での安静生活を指導されました。そのため、無事に出産を終えたものの、育児をするだけの筋力や体力がなく、徐々に私の膝や腰には痛みが……。 さらには手のしびれや足の裏にも炎症が起き、一時は横になっているのもつらい状況でした。このような痛みによる不安から不眠症にもなり、その後「産後うつ」と診断されました。 保育園が必要になった理由夫には1カ月の育休を取ってもらい、育休終了後はヘルパーや一時預かりを使って通院を続けました。しかし、希望通りに予約を取ることができなかったり、またヘルパーや一時預かりの予約が取れた日にちに病院の予約をうまく入れ込めなかったりと、日程調整に苦戦。やがて、ずりばいを始めた息子を追いかけることができず危険を感じるようになったため、夫のいない平日は保育園に預けることを考えるようになりました。 保育園の申し込みまでにおこなったこと夫は会社から勤務状況証明書を、私は通院しているそれぞれの病院から診断書を集める必要がありました。これらの書類はできあがりにかかる時間がまちまちなので、1番に取り掛かることに。 ホームページで保育園の空きについて調べ、できるだけ家から近く、入りやすさ(0歳児の倍率)も考慮しながら検討しました。締め切りまでに市役所の窓口に提出し、その結果第二候補の保育園に入園することができたのです。 息子が保育園に通うようになってからは病院にスムーズに行けるようになり、痛い体で急ぐこともなくなったので、ストレスを減らすことができました。私は産後にここまで体を壊してしまうとは思いもしませんでした。もしこのような状況になってしまったときのために、あらかじめ市で受けられるサポート情報を見ておくことも大切だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/まっふ 著者:川口みさ0歳男子の母、33歳。産後に体を壊してしまい、現在は療養中。趣味はトランペットで吹奏楽やオーケストラで演奏すること。いずれ復帰するのが目標。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2024年05月18日この記事では、育児ストレスで押しつぶされそうになったママの体験談を紹介しています。来る日も来る日も育児に追われる日々。育児ストレスで押しつぶされそうになっていた私を助けてくれたのは「子どもとの時間も自分の時間」という母の言葉だったそうです。わが子が生まれると、かわいがる余裕すらないほど育児に追われました。授乳やおむつ替えなど、初めて経験することばかりで目が回りそうでした。育児に追われ、自分の時間も持てません。初めて経験する育児ストレスで押しつぶされそうになったとき、私の母が放った言葉に救われました。 母親の偉大さを痛感する日々わが子に会える日をゆっくり待ち望んでいた日が嘘みたいでした。出産後は寝る暇がないほど育児に追われます。わが子は1日中泣くタイプだったため、私はいつ寝ているんだろう?と思うほど、体はボロボロでした。 私の母はこうして3人の子どもを育てたと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。そして子どもを10人産んでもめずらしくなかった時代が想像できませんでした。 来る日も来る日も育児に追われる来る日も来る日も育児に追われていると、友人とランチへ行く、趣味に打ち込むのは、夢のまた夢です。ゆっくりドラマを見ることすらできません。 今まで当たり前のように過ごしてきた日々を思い返すと、正直戻りたいと思ってしまう自分がいました。愛するわが子に出会えたのに、ぜいたくなことを言っているのはわかります。しかし、当時はそれだけ育児ストレスで押しつぶされそうになっていたのです。 母が放った言葉に救われた理由もないのに涙が出てくる日々。私は産後うつを経験したのですが、いま振り返ってもつらい気持ちになります。そんな私を救ってくれたのは、実母でした。少しも自分の時間が持てないと嘆く私にこんな言葉をかけたのです。 「子どもとの時間も自分の時間」 何気なく放った母の言葉が胸に刺さりました。10年、20年後には自分の時間だったと気づくものだと母は言うのです。そう考えると気持ちがラクになったことを覚えています。 育児に行きづまりそうになったとき、育児本やネットで不安を解消するのもいいと思います。しかし私は、両親や先輩ママからの言葉が一番心に響きました。実際に育児を経験した人からの言葉には重みがあり、心強いと感じます。 イラストレーター/ぼめそ著者:田中由惟1男1女の母。2人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月17日産後2カ月のころ、友人の結婚式に出席しました。打診があったのは妊娠中で、産後の様子は正直あまりイメージできませんでしたが、大切な友人だったので赤ちゃんを実母に預けて出席することに。しかし、いざ式が近付くと、出席の返事をしたときには想像しなかった問題がいくつか出てきました。パーティードレスが入らない!産後思ったように体型が戻らず、着ようと思っていたパーティードレスが入りません。どうにもこうにも背中のファスナーを上げることができず、困ってしまいました。 赤ちゃんは連れて行かない予定だけど、授乳口の付いた産後ママ向けのドレスを買うべきか……と考えていたところ、妹が持っていた、ゆったりしたデザインのドレスを貸してもらえることに! ホッとしました。 溢れる母乳はどうしよう!産後すぐには出なかった母乳も、式のころには授乳間隔があくと溢れ出るようになっていました。 赤ちゃんと離れて過ごす間、母乳パッドはどのくらい必要? 借りものの服を濡らしてしまったら申し訳ないし、なにより恥ずかしい……と心配でした。結局、家を出てから帰宅までの間に母乳パッドを4〜5回交換し、そのほかに搾乳もしました。 久しぶりのヒールで足が痛い!妊娠中から1年以上ヒールのある靴を履いていなかったので、独身のころのような高いヒールで歩く自信がなく、低めのヒールの靴を選びました。それでもやはり歩きにくく、帰宅するころには靴擦れができ、ふくらはぎも筋肉痛になってしまいました。 せめて、行き帰りの移動の間は履き慣れたぺたんこ靴に履き替えればよかったなと、あとから思いました。 いろいろと思いがけない苦労もありましたが、大切な友人の花嫁姿を見られてうれしかったです。披露宴の最後の花嫁からの手紙は、生まれたばかりの娘がこんなふうに手紙を読む日もいつかくるのかなと想像して感動しました。 著者:奥田美紀二児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2024年05月17日息子が1歳5カ月になり、育児にようやく少し余裕が出てきたころに2人目の子どもを出産しました。産後はホルモンバランスの変化で精神的に不安定になっていたのですが、そんなときに私がパパに理解してもらいたいと思ったことをお伝えします。 産後のガルガル期産後すぐに新生児育児が始まり、睡眠不足の毎日で少しのことでイライラしていました。そのとき母から、「産後は“ガルガル期”という、赤ちゃんを守る本能からイライラしてしまう時期があるんだよ。それは仕方のないことだよ」と励ましてもらいました。しかし、パパは「ママはなんでいつもイライラしてるのだろう?」と思っていたようで、何度も衝突しました。産後の女性の心と体の変化をパパが事前に知ってくれていたら、このガルガル期に少しでも笑顔が増えたのではないかと思います。 上の子じゃなく下の子を!頻回授乳もあり、私は赤ちゃんにつきっきりになりました。しかし上の子もまだ1歳。授乳をしているとき上の子は口をギュッと結んで我慢しており、夜になるとその寝顔に「ごめんね」と謝り涙を流す毎日でした。パパは上の子とよく遊んでくれましたが、でもそうすることで上の子とママの間に溝ができていく気がしていました。赤ちゃんが泣いたとき、パパが上の子ではなく赤ちゃんのお世話を少し手伝ってくれたら、その間にママは安心して上の子と接することができるのにな……と思いました。 家事に完璧を求めないで!1歳と0歳の子どもがいる日々は、かわいい反面本当に大変です。子どもをみるので精一杯で、家の掃除が行き届かなかったり、ごはんも冷凍食品やレトルトを多用したりしていました。「家事ができていなくてごめんね」とパパに伝えると、「今はできなくて当たり前。毎日掃除しなくてもいいし、ごはんもコンビニや出前でもいいよ。それより子どもたちと笑顔で遊んでくれていれば俺はうれしいから」と言われ、この言葉に本当に救われました。 夫も仕事をしているので、もちろん家事や育児を全部担うわけにはいきません。でも、理解をしてくれるということが私の心にゆとりを持たせてくれたのです。 年子の育児で余裕がなくなっていた私も、パパの理解ある言葉で笑顔を取り戻し、今しかない赤ちゃん期間を大切に過ごさなきゃもったいないと気付くことができました。何よりもかわいい子どもたちのために、これからも笑顔と思いやりを絶やさないようにしたいと思います。 イラストレーター/みいの 著者:松本のあ1歳男児と0歳女児の母。客室乗務員を現在育休中。年子育児の経験を多くの人に伝えるべく、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月17日息子が3、4カ月頃のことです。夜寝る時間がだんだん長くなってきて、夜間授乳の回数は減ってきたのですが、私は蓄積した寝不足と疲労でクタクタでした。アナタが言う!?ある日、久しぶりに友人と会うことに。そこで、私を心配した友人が「夜は眠るようになってきた?」と質問してきました。すると、私より早く夫が「よく寝てくれて助かってるよー」と答えました。産後すぐから7時間しっかり寝ている夫の発言に、「夜1回も起きてないだろー!」と、イライラしました。 ◇ ◇ ◇ 怒りがおさまらず、2人になったときに「夜あなたは起きてないよね??」と思わず言ってしまいました。夫は、「そうだね、もう俺は答えないよ。」と言うのです。いやいや、そういうことじゃないのよと呆れてしまいました。作画/さくら著者:猫田むぎ30代、0歳男の子ママ。育休中。ライブや国内旅行が趣味。
2024年05月13日かおりさんは生まれたばかりの娘・こはると、夫・いちろうの3人暮らし。しかしかおりさんは、出産してすぐワンオペ育児をすることになり……。 こんなはずじゃなかったのに!私は愛する娘を出産してからというもの、ほぼ毎日不眠不休で育児をしていました。本当なら、夫も居てくれるはずだったのですが……。 かおりさんはこはるを出産し、数日間は実母が助っ人にきてくれていました。しかし実家は食堂を経営しており、そう長くは居られません。そこで夫のいちろうが3カ月の育休を取り、夫婦で乗り切る計画でした。 実母が帰宅し、いよいよ明日から育休期間だと安心していたかおりさん。しかし、いちろうは「育休って1カ月後からでしょ?」とまさかの発言。 なんといちろうはかおりさんが出産前に何度も日にちを指定していたにも関わらず、違う日に育休を申請していたのです。 しかもいちろうは「まぁなんとかなるっしょ!」と悪びれる様子もなく、しまいには「なんたって僕はイクメンだからねっ!!」と自信満々。 ところが2週間経ってもいちろうが早く帰宅することはなく、連日服やゴミを散らかしっぱなしに。そしてとうとう、いちろうは帰宅すらしなくなっていったのでした。 産後間もない体で、いきなりワンオペ育児をすることになったかおりさん。いちろうが育休の開始日を間違えたこともですが、その後の生活態度や発言にモヤっとした方もいるのではないでしょうか。また「夫が育休をとってくれる」という気持ちで、今までのワンオペ育児を頑張ってきたかおりさんの気持ちを考えると、愕然としてしまいますよね。ワンオペ育児が再開することになったかおりさん。産後間も無く心身ともにつらい時期だと思いますが、無理をせず、周りに頼りながら赤ちゃんだけでなく自分の心や体にも目を向けて過ごしてほしいですね。 >>次の話 著者:マンガ家・イラストレーター くまお
2024年05月10日産後1カ月健診の日、母子それぞれ診察があったので母に付き添ってもらい、私の診察中は息子を母に預けていました。すると、私が診察を受けている間に、母が見知らぬ女性から「赤ちゃんを抱っこさせて」と声をかけられて……? どうする?見知らぬ人からの「赤ちゃん抱っこさせて」産後1カ月健診の日、病院の待合室でのこと。母子それぞれ診察があり、私の診察の間は付き添いの母に息子を抱っこして待ってもらっていました。私が診察室から出ると、母の顔が引きつっていたので事情を聞いてみると、待っている間に私と同い年くらいの女性から「赤ちゃんを抱っこさせてくれませんか」と聞かれたそうです。その女性は目を合わせようとせず、挙動不審……。母が聞こえないふりをしていたら、しばらくしてその場を立ち去ったといいます。私が母の話に驚いていると、受付の人がやってきて「すみません。先ほどの方は病院の患者さんや付き添いの方ではなかったようなので、帰っていただきました」と伝えてくれました。その女性の真意は分かりませんが、もし母が抱っこさせていたら、息子が危険な目にあっていたかもしれません。私は「息子を渡さないでくれてありがとう……」と母に感謝したのでした。 「抱っこさせてください」という方の多くは、純粋に赤ちゃんをかわいがりたいだけなのかもしれません。しかし、今回のように挙動が怪しい人物にわが子を渡すわけにはいきません。わが子を守るために、警戒の気持ちは常に持っておいたほうがいいと感じた出来事です。 作画/yoichigo著者:大谷りほ
2024年05月10日心配性で産後も不安が尽きなかった私は、産後の手伝いに来ていた母に「赤ちゃんがかわいそう」といわれることがストレスに。ことあるごとに「かわいそう」と言われ、ストレスもマックス。そんな中、夫のひと言で気持ちがラクになったのです。 私の心を軽くした夫の言葉とは 昔から極度の心配性だった私。「無事に生まれてきてくれるかな」と不安ばかりの妊娠生活を送っていました。元気な男の子が生まれてひと安心だったのですが、産後は「どうして泣き止まないんだろう」など不安に襲われることが多くなったのです。事あるごとにオロオロする私。夫はそんな私に「大丈夫だよ」と言ってくれていたのですが、不安はつきません。産後は県外に住む実母が、2カ月ほど手伝いに来てくれていたのですが、そんな私に呆れた様子でした。 あまりにも心配ばかりする私に、母は「そんなに心配ばかりして……赤ちゃんがかわいそうじゃない!」とひと言。その日を境に、母は「かわいそう」と連発するようになりました。私は母の「かわいそうに」を聞くたびに、私が息子にかわいそうな思いをさせているのではないか……と、追い詰められていったのです。 「かわいそう」攻撃が始まって1週間ほどたった深夜、息子が急に泣き出しました。母と夫は2階で就寝中。私は1階のリビングやキッチンを歩き回り、息子をあやしていました。すると、息子の泣き声で目を覚ました母が降りてきて「まぁ、こんなに泣いてかわいそうに」と言ったのです。そのひと言に私は思わず「かわいそうって言わないで!」と怒鳴り、息子に負けない大声で泣いてしまいました。 すると、騒ぎを聞きつけた夫が2階から降りてきて「この子は世界一幸せな子です。こんなにも母親に愛されているんですから」とひと言。思わぬ夫の言葉に「悪かったわね……」と母は気まずそうにしていました。夫が私の気持ちを代弁してくれた気がして、うれし涙を流した私。それ以来、母は「かわいそう」という言葉を封印してくれました。気持ちに余裕がないときは、何気ないひと言もネガティブに受け止めてしまう人も多いと思います。この経験を通して相手に「かける言葉」には気をつけないといけないな、と感じました。 作画/yacco 著者:田所みさお
2024年05月07日息子が泣き出すと、わが家のパパはいつもママ任せにして「おっぱい欲しがってるよ!」と言っていました。しかし、あることをきっかけにパパの固定概念が崩れたのです。今回はそのときのことをお伝えします。 産後は疲れやすさと寝不足で体がクタクタ息子はとてもかわいくて、ずっと見ていても飽きません。しかし、産後の体はとても疲れやすく、自分でもコントロールができないほど心まで不安定になっていきました。 おむつ替えや授乳に抱っこ、前かがみの姿勢を1日に何度も繰り返し、腰も首もガチガチ。息子がやっと寝て「さぁ休もう」と思ったらまた泣いてしまう……の繰り返しでクタクタでした。 赤ちゃんが泣く理由はたくさんある!生後3カ月ごろ、赤ちゃんが泣く理由として「おなかが空いた」「おむつを替えてほしい」などがあることは、わが家の新米パパも理解していたようです。中でも、おっぱいを与えると高確率で泣きやむと思っていた夫は、息子が泣くたびに「おっぱいだって!」と言い、すぐに私に抱っこを交代させようとしていました。 立って抱っこしてほしいとか、他にも理由があることを伝えても、夫には「ママじゃないと泣きやまない」という固定概念があって困りました。 おばあちゃんが抱っこしたら泣き止んだ実母や義母が息子に会いに来たときのことです。実母や義母が大泣きしている息子を抱いて、少し揺れながら室内を歩いているとピタッと泣きやみ、気持ち良さそうに眠りについていました。 その様子を見た夫が「あ、泣きやんだ……」とひと言。ママ以外の人に抱っこされて泣きやむ息子を見て、「おっぱいだけが理由じゃないんだ……」と、やっと理解してくれたのです。 パパはイクメンに、息子はパパっ子になってくれた!「赤ちゃんは、ママのおっぱいのにおいに安心する」という話を聞いた夫は、「それなら俺のにおいにも慣れたら安心するかな?」と、冗談まじりにも積極的に関わりを持つようになってくれました。すると、意思表示をし始める月齢の時期には、息子のほうからパパを求めるようになっていったのです。 その後、息子は夫が帰宅すると、かすかに聞こえるドアの音にもすぐ反応して、玄関まで出迎えるようになりました。さらに、初めて覚えた言葉も「パパ」で、どんどんパパっ子になっていきました。 息子が泣いたとき、少し見ていることもできなかった夫がイクメンになったのは、「ママじゃなきゃダメ!」という固定概念にとれわれなくなったことがきっかけでした。 イラストレーター/ムチコ著者:高橋四葉4児の母。自然分娩2回、帝王切開2回を経験。現在子育てに奮闘しながら自身の体験をもとにした記事を執筆中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月05日私は、産後は産前とはまったく体型が変わってしまいました。全体的にぶよぶよになった感じです。そんな産後の体型変化について、夫にからかわれ悔しい思いをしたことがあります。夫から言われて嫌だったこと、それにどう対処したのかお話しします。 おっぱいが垂れた産後娘を産む前まで知らなかったことはたくさんありますが、産後の体型変化はその中の1つです。おなかがしわしわになる、腰回りが太くなるといった一般的なことはわかっているつもりでしたが、こんなにも胸が垂れるとは知りませんでした。 私は母乳の出が悪く、そのため授乳していないときでも、とにかく多く母乳をとろうとおっぱいを揉みしだいて搾乳していました。それが原因なのか、娘が生まれて半年経つころには、おっぱいは伸びきり下に大きく垂れてしまったのです。 夫に言われた「おっぱい垂れたね」垂れたおっぱいを見るにつけ、きれいじゃないな、以前の体とは全然違うな……と自分でも思っていました。それと同時に、これは自分が一生懸命育児を頑張っている証拠だとポジティブにも捉えていました。 そんなある日、娘と夫と一緒に海へ遊びに行ったところ、水着姿の私を見て夫が笑いながら私にこう言ったのです。「おっぱい垂れたね」と。 夫の言葉に激怒その言葉に私は激怒。たしかにおっぱいは垂れました。きれいとは言い難いかもしれません。ですが、これは昼夜問わず一生懸命私が育児に取り組んだ結果でもあります。自分よりもとにかく家族と娘の幸せを考え、自分のことは二の次にしてきました。 それがいいか悪いかは置いておいて、一番の理解者であってほしい夫にそう言われ、とても嫌な気分になったのです。私の怒りに夫は平謝り。夫は軽い冗談で言ったそうですが、次また同じことを言ったら離婚する!と言い渡してその場はおさまりました。 ひとりの時間をくれた夫夫はその出来事で何か考えるところがあったようです。それ以来、夫は積極的に娘を預かり、私が美容院やピラティスに行く時間を作ってくれるようになりました。 私の状態といえば髪はぼさぼさ、肌はボロボロ、ネイルなんてもってのほか……だったので、正直この夫の態度の変化はとてもうれしかったです。なにより、ひとりの時間ができたことで、少し余裕をもって娘や夫と向きあえるようになりました。 「おっぱい垂れたね」という夫の心無い言葉。とても嫌な気持ちにはなりましたが、結果として夫も私の努力に敬意を払ってくれるキッカケとなりよかったと思っています。娘が5歳になり少し育児に余裕がでてきた今、もっと最初から夫に助けを求めていれば……と反省もしています。ひとりの時間も家族の時間も大切に、これからも育児に励んでいきたいです。 作画/キヨ 著者:レイトン 愛加 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月05日第1子を出産して3カ月ほど経ったころの話です。慣れない育児の疲労、寝不足に加え、ある日、私は体の関節や骨が痛いなと感じるようになりました。腱鞘炎、腰痛、謎の痛みまず痛くなったのは腕から手首にかけてで、私は慣れない新生児の抱っこ、授乳の姿勢などが原因だと思っていました。湿布やサポーターをしながら姿勢に気をつけることで軽減されましたが、次に襲われたのは腰を中心に背中からの骨の痛みです。 日がたつにつれ全身の骨が痛くなっているように感じ、「ヘルニアとかだったら大変だから病院に行ってみたら?」という夫の言葉もあり、私は整形外科へ向かいました。 レントゲンをひと通り撮ってみた結果整形外科で腰を中心にレントゲンを撮りましたが、特に異常はなし。先生によると、「産後、急に筋肉を使うようになり、無理な姿勢も増え、その結果として痛みが出たのだろう」という診察結果でした。 骨や神経に悪いところは見られないので、病院に通って筋力をつけるようなリハビリをしていくか、もしくは普段の生活で気をつけていくかのどちらかになるとのこと。 ひと安心とはいえショック…骨がきしむような感覚が抜けない中、「異常なし」と言われ安堵しましたが、「運動不足からくるもの」だとわかり脱力……。まだ生後3カ月の息子を長い時間預けながらのリハビリは、授乳時間もあり現実的ではなかったので、私は家で何かできないかと考えました。 育児には筋肉をたくさん使う動きが多いのでは?と思った私。それならと、私は息子を抱っこしながらスクワットしたり、ストレッチをしたりと家の中で育児をしながら軽く運動をするようになりました。 息子を連れて散歩に出かける機会も増え、私も動くようになり、さらに仕事に復帰すると体の痛みはほとんどなくなりました。息子のためにも、これからも少しずつ運動をして、元気な体でいたいと思った出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ななぎ著者:畑野ナツミ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月02日出産直後から産後うつになり、とても苦しい時期を過ごしました。夫や私の両親は理解を示してくれたのですが、義母に症状を伝えたところ、とんでもないひと言が返ってきて……。ドン引きしました。 産後うつだと義母に伝えたところ…出産して、産後うつになった私。「自分は子育てができない」と悩み、食事もまともに食べられない、眠れない、涙が出てくる、と思い出しても本当につらかったです。 夫や私の両親は産後うつについて勉強し、理解を示してくれました。私が少しでも休めるようにと、夫は早めに帰宅をして育児をしたり、母は家事を手伝ってくれたりと、本当に有難かったです。 あるとき、義母に産後うつだと電話で話したところ、「子どもを産んだだけでうつ? どういうこと?」「そんなことでこれから育てられるの?」とお説教が始まり……。追い詰められた私は始終泣いていました。 その後も義母から電話が続き、堪忍袋の緒が切れた夫が「いま○○(私)は病気なんだ。看病する気がないなら放っといてくれ!」と言って電話禁止令を出してくれました。家族の助けや病院の治療で、うつの症状は治っていきました。今は元気を取り戻し、夫と両親にはとても感謝しています。しかし、義母の余計なひと言で症状が悪化したため、義母の言動は今も忘れられません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◇ ◇ ◇ 産後はホルモンバランスが急激に変わり、この変化が自律神経に影響を及ぼします。よく聞かれる「マタニティブルーズ」は一過性の生理的なもので、産後2週間ほどで自然に治まることがほとんど。一方の「産後うつ」は早ければ産後2〜4週ごろに発症し、こちらは医療機関での治療が必要です。マタニティブルーズが悪化して産後うつになるケースも少なくないので、ひとりでかかえこまず、かかりつけの医師または心療内科や精神科に相談して治していきたいですね。 イラスト/シュー子著者:中田美子監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月30日育児に遅れと混乱が生じてる !!
ムスメちゃんとオコメちゃん
ドイツDE親バカ絵日記